希望の朝日を見るために
鐵人ブログ、3335日目です。(残り318日)
「(若者)私は何でも夢が叶うという『希望の朝日』をどうしても見てみたいんです!」「(老人)よし分かった。それであればどんなに大きな困難があろうとも諦めずに東の方角へ歩き続けなさい」「(若者)でも東の方角には大きな山があってこれ以上進むことが出来ません」「(老人)その山をいくつも越えたところに・・・」「(若者)それに私は今足が痛くて遠くまで歩くことが難しいのです」「(老人)・・・」「(若者)もしかしたらこの場所で待っていたら希望の朝日を見ることが出来るかもしれないので、私はここでもう少し待ってみようかと思います。それでダメなら山のない平坦な西の方角へ行くつもりです」。
このやり取りから皆さんは何を感じるでしょうか?いくらその場で待っていても、いくら西の方角を探してみても、希望の朝日を見ることは出来ないでしょう。朝日を見るためにはどれだけ大きな困難が待っていようとも東に行くしかありません。それは間違いのない「事実」です。しかし私たちはこれまでの経験や失敗の記憶によって、この事実に反するようなことをしていないでしょうか。「いや、そうは言っても私にはできません」「いや、その方法は以前試して失敗したので」「いや、今はまだ準備が出来ていないので」といった感じに。
朝日が見たいのであれば東に行くしかない。私は希望の朝日を見るために、今日も一歩だけ東の方に進んでみようと思います。(まだ見つけられていませんが・・・)