自分が元気なうちに渡す
鐵人ブログ、3465日目です。(残り188日)
昨日のブログでもお伝えした通り、「丸吉運輸機工(現 丸吉ロジ)」の事業承継は創業者が65歳、私が34歳のときに行われました。普通に考えても(運輸業界の中では特に)、相当早い事業承継が行われたことは間違いありません。この話をすると「しっかりと承継の準備が出来ていたのですね!」「万全の体制が整ったから承継を行えたのでは?」と言われることがあります。しかし今だから正直に言えることですが、当時を振り返ってみても決して万全の準備が出来ていた訳ではありませんでした。
一般的に事業承継を考え始める状況になった時、バトンを渡す側(創業者や現経営者から)からバトンを受け取る側(承継者候補)を見ると、「まだ〇〇には経験が足りない」「まだ〇〇の能力では無理だ」という風に思うのは当然のことかもしれません。実際に私が丸吉のバトンを受け取ったときの状況が、まさにこのような「経験なし」「能力なし」の状態だったと自分でも自覚していたので(汗)。
ではなぜこのような状況で事業承継を行なおうと考えたのか?その時の気持ちを創業者である吉谷隆はインタビューの中でこう答えています。「自分が元気なうちにバトンを渡したかったから」。この言葉の真意については明日のブログでお伝えさせていただきますね!