なぜ逃げてしまうのか?
2019/04/05
鐵人ブログ、2867日目です。
昨日のブログでお伝えした東京都内で行われた「ラジオ収録」の様子について。今回私は「ラジオで原稿を読む」という話を頂いたときに、色々な言い訳を考えて「断ろう」という気持ちになったのが正直なところでした。理由は、私にとって「話すこと」は、とても苦労していることの一つだから。でも「自分自身の人生を悔いのないものにする」と決断した「あの日」から、私は「逃げる道」ではなく「挑戦する道」を選ぶことにしたのです。
私が「吃音(きつおん)者」であることは、何度かこのブログでお話させて頂いたことかと思います。特に子供の頃から苦手だったのが「本読み」でした。決まった文章を読むという行為は、一見すると簡単なことに感じる方も多いでしょう。でも吃音の人にとっては、この本読みというのが「大の苦手」という人がほとんどなのです。例えば国語の授業であった、「はい、それでは○ページの○行目から順番に読んでみてください!」という先生の言葉。この瞬間から私の心臓は飛び出るくらいにバクバクし、言葉が全く出てこない状態になってしまうのでした。実際に私の番になり言葉に詰まって長い沈黙が続いてしまうと、周りから「何でこんな簡単な文字が読めないんだろう?」といった顔で見られてしまうのが嫌だったのですね。
それ以来、大人になってからも私は「人前で話すこと」から逃げ続ける人生を送ってきたのでした。人は大抵「苦手なこと」を無意識のうちに避けながら生きていることと思います。では何故人は色々な言い訳をして「そこ」から逃げてしまうのでしょうか。長くなってきたのでこの続きはまた明日のブログでお伝えさせて頂きますね。